生物兵器に関する話題で注目を集めている「アングロサクソン・ミッション」 Youtubeで活躍するビル・ライアン氏の動画の情報源となった男性からの手紙の翻訳を以下に掲載しています。
ビル・ライアン氏ではなく、フリーメイソン会合に参加した男性本人による手紙です。
ソース:アングロサクソンミッション 原文掲載サイト 「The Anglo Saxon Mission」
目次
タイムラインに気づくまでに、私はイギリス軍とともに世界中を旅し、紛争にまきこまれ、精神に変化をもたらす出来事の証人にもなった。 そのなかには節度ある態度で説明するのが難しいものもあった 再確認することが最も難しいイベントのひとつが当時、NATO委員会の会長をしていたアドミラル・ヒル-ノートン(Admiral Hill-Norton)が参加した集会だ。 公職守秘法に反するかもしれないので、この詳細にふれることはできない。 タイムラインとよばれるアングロサクソンミッション実在の証拠を示す上で、このイベントは重要であり、鍵となるものである。私の見聞きしたことからして、タイムラインはのちに’CW’とよばれることになる非常に信頼の高い内部の人々にささえられ、35年以上前から存在したということしか、このイベントについて公に言えることはない。 1980年代の間、とあるまだ公開できない個人的なキャリアイベントをとおして 私は将来の戦争時におけるイギリス政府は保守派であり本質的に右翼であること、そして文民ではなく、従順なサポーターを従えた陸海空の幹部たちが高官に就任すると迷いなく考えるようになっていた。 当時、私はこのような軍事政権がおかれる世界的な武力紛争の広がりにまもなく入るのだろうと思っていた。 私は軍人としてのキャリアを続け、BAE、Westland、Plessey & Marconi Systemsといった軍事請負業者との共同作業の計画を行っていた。同時に、私は80年代終わりから90年代はじめにかけて行われた次世代向け海軍兵器プログラムにも参加することになった。しかし、そのときまでに私は極右の手が人々や出来事を操作することに精を出していることに全体的に幻滅していた。 CWが前もって私に伝えてきたことが、それまでイメージしてきたことよりも、よりしっかりした形で私によみがえっていた。 (CWは内部にある、1975年から知られるものであり、その実態はまだ伏せられる必要がある) 事実上、CWは正しかった。そして事実上、私が教えられることは何事においても「一般の人々は無知で言いなりになるままだ」という考えに基づいていると知り、私は考え方が大きく変わった。
これら次世代向け武器そのものは驚くべきものではないと言わなくてはならないだろう。それらはテカテカした防衛産業の月刊誌で誰でも読むことができる類のものだ。 過去の戦闘経験ゆえに、私はイギリスのさまざまな武器の試験場に派遣されてきた。その大部分は北スコットランドのCape Wrath(ラス岬)で行われた。 私の仕事は私と同じランクの他の人々と一緒に空中目標に対する範囲追跡演習を行うことだった。 そのとき私達は、高い位置からやってくる、小さくて非常に素早く動く敵を見つけ出すことができるか調べるため、次世代の監視機と火器コントロールレーダーを使った。ターゲットにはジェット機から無人ドローン、砲弾まで使用した。 こうしたテストが行われているあるとき、私が武器を扱うデスクに、BAEの民間技術者が違う装置をつけた別の武器のデスクにいたことがあった。 軍ではこうした民間技術者のことを’Boffin’と呼ぶ。 このとき領域にターゲットが入ってくる前に普段より念入りな演習前の準備が行われた。なので「領域がクリアになった。記録を始める」と指示がある前に若干の時間があった。 私の仕事はいつものとおり、分析するのに最良の方法で機器を使用することだった。 おかしくなりだしたのはここからだった。私が教えられてなかったからか、何であったとしても、そのターゲットは、私の用いている装置を使って見つけることができなかった。 しかし民間技術者のBoffinはターゲットを彼の使う装置で確認することができた。彼は音声でターゲットの情報をレポートした。 要するにターゲットは非常に高い高度からやってきたのだ。条件から私の考える推論だと200マイルを超える必要があった。大気圏外から理解できない速さで来たのか・・・私の操作していた機器のほとんどは範疇外だった。 UFOといった類のものではない。演習の間、オペレーターが間違いなくターゲットの内部にいる誰かと話していたから。 あとになってBoffin は言った。 「心配するな。私達のうちの一人だから」 私はこういった 「感謝する。私はScoobyをみれなかったから」 するとBoffinは言った 「あなたは何も見るつもりはなかったし、もしそうだったら、私たちは深刻な問題を抱えることになっていただろう」 それから私は考えた。これは軌道上のプラットホームから発射される超低レーダーエコー領域のミサイルを追跡する演習だろうか。 いや、そうじゃない。私が気づいたように、ターゲットには人が乗っていて操縦しており、領域の終わりで突然停止するのだ。 私はこれについてもっと質問したほうがいいという勘がはたらいた。 かわりに私はプロフェッショナルのプライドにかけて、私が私のキットの上にある血まみれのものを持ち上げられるか確かめることに、さらなる決意を求められた。 私はそれを拾うことができなかった。 私達はそれから数回、このタイプのターゲットを相手にした演習を行った。まるでターゲットが複数あり、同じものを繰り返し使っているわけではないように。 ここまで読めば、私がブラックプロジェクト(Black Projects)と呼ばれる類のものについて話しているとわかるだろう。
ブラックプロジェクトとは軍や政府による公にされていない高度な軍事プロジェクトを指す言葉です。詳しくは⇒ウィキペディア「Black Project」(英語)
私が出くわしたターゲットはどうやら、BAEや他よく知られた防衛請負業者の共同プロジェクト管理下において、90年代になるまで30年以上にわたって開発中のものだったようだ。 これら"ターゲット"のことは選ばれたわずかな人しか知らない。 しかし私が後で気づいたところでは中佐のランクより上の何人かの将校は、ほぼ間違いなくそれらについての説明を受けている。 将校のキャリアの持ち主として、私は戦争に勝った技術を目撃していた。そして、我々が武器庫にこの種のキットを持っていたことをうれしく思った。 しかし、また物事は少し奇妙になりはじめた。次に続くことを適切に述べるのは私にとって、いまだ難しいままだ。 繰り返し行われたラス岬の演習が終わったあと、私は南下してイングランドに戻るためグラスゴー行きのバスに乗った。 グラスゴー行きのバスは途中でエア(Ayr)の街の近くの場所に寄り道した。西スコットランド海岸にある、グラスゴーから30マイルあまりのところだ。 そこで私たちは赤い砂石でできたテナントタイプの一般的な外観の建物の中の部屋に連れて行かれた。 その部屋で私達は制服を着た人たちに紹介された。その制服は襟に銀の記章が入ったフライトスーツのような黒い軍服だった。銀のラインがあり、アメリカ軍の記章と同じにみえた。 しかし、彼らはアメリカから来たのではなかった。全員がはっきりしたイギリスのアクセントで話していたのだ。 紹介のあとに続いた演習の報告会で、私はこれがさきほどの領域演習で同じ航空機に乗ったパイロットたちの集まりなのだと気づいた。 パイロットたちはリラックスして、フレンドリーで、見るからにとても健康そうだった。 その中の一人、やはり非常に健康そうな中年男性が、これはごく普通のことなのだと私を安心させにきた。彼は私が神経質になっており、こうしたことに全く初めてだと気づいていたにちがいない。 また同じ部屋には別の人たちもいた。パイロットたちと違う制服を着た若い男女が複数いたのだ。彼らは青いカバーオールを着て、彼らと一緒にいた家族と思わしき人々にさよならを言っていた。このさよならの場面はとても感情的であるとともにシュールでもあった。 中年のパイロットの男性は、彼らは呪文で舞い上がってるのさと指で天井を指した そのとき私には、彼から感じたにちがいないだろう、簡単だがテレパシーとしか思えないビジョンが見えた。 そのビジョンとは「さようならを告げている人たちと同じ人々と一緒に、宇宙にある巨大な船渠(ドック)に向かう丸い乗り物の内部に座っている。乗り物は空間の間でシューッと音をたてており、丸い地球が見える」といったものだった。 この建物の中で、Greysだとわかってるものがちらっと私たちを見たが、以降、我々を完全に無視した。それから彼は言った。 「これが私達がやってきたやりかたです。皆が有志であり強制されたものは一人もいません」彼はこの点を強く強調した。 私はこの中年パイロットについて、きわめて優しく理解のある男性だと感じたといわなくてはならない。彼は私が宇宙に行ってエイリアンに会うという考えに対してためらっていることを知っていて、理解してくれた。 私はこの男性に一種の宗教的なものを感じた。彼はただ完全な理解と気遣いをみなぎらせていた。 わたしはどのぐらい長い間、その建物にいたか思い出せない。しかしそのあと、私はあの場での感覚を非常によく思い出した。まるでそれが全く普通のことのように。しかし、同時にそれが絶対にそうでないことも知っていた。 私は私の見たものとあまり関係ない通常の海軍任務に戻った。それは素晴らしいものだった。 しかし、軍人としてのキャリアが終わりに向かうにつれ、私は挫折のときを迎え強いストレスを感じるようになった。 それは経験してきた紛争や、個人的な生活の困難によるもの、そしていくらかは頭の中にある宇宙に浮かぶ巨大な建造物のイメージによるものだった。そこに定期的に戻るという鮮明な夢をみた。 これらの夢は私の中に割り込んでくる感じのものだったが、ありがたいことにしばらく前に止んだ。 これらのことや他の情報からして、私の話は絶望的に途方もなく信じられない話であるとわかっている。どうしてこんなふうなことについて話すことができるだろう?私をもっとも混乱させたのは、多分誰にも話せないこの情報のことだ。
私は中将になった後、1999年に長い海軍生活を終え、民間人になった。そしてロンドン市にある機関の上級職についた。 ロンドンは私のホームタウンなので幸運に感じた。私は最後の上司だったとある提督からこの仕事に導かれ、推薦された。 彼はシティにいくつかのハイクラスなコネクションをもっているようだった。 このときの私は、その仕事のために送られた人物だった。なぜなら私が”知ってる人間”で”信用できる人間”だったから(彼らは私のことをメイソンの人間だと思いこんでいた)。
日本でフリーメイソンという言葉は陰謀論と結びつきユダヤ系などといった誤解をされがちですが、実際は英米を中心としたアングロサクソン色の強い組織です
シティの仕事を初めてからすぐ、私はロンドンシティの様々なリヴァリ・カンパニーのアソシエイトメンバーになるよう誘いを受けた。
リヴァリ・カンパニー/Livery companyとはロンドンに古くからある同業者団体およびギルドで構成される組織であり、組合員は、ロンドン市長はじめ上級職の投票権を保持しています
私はシティの内側のサークルに昇格させられているように感じた。まさにリヴァリ・カンパニーのような。 しかし私は身をまもるために私自身のままでいようと決意した。にもかかわらず、私はいつもゲストリストが‘whose who’なディナーに招待された。 世界の銀行コミュニティでもっともよく知られる人々、また著名な政治家そして軍の関係者または軍人の経歴を持つ人がいた。 それは現実の‘band of brothers(兄弟の集まり)’であり、私は彼らの多くをファーストネームで知った。 こうしたディナーや他の社交イベントで私は彼らに値踏みされているとわかっていた。私は役を上手に演じ、すぐに中ランクのシティの上級役職者として組み込まれた。私は私の立場をわきまえ、彼らに信頼を与えられた。 私がこの'兄弟の集まり’からすぐにくみとったのは、一般の人々の普通の人生に対する彼らの冷たい軽蔑感だった。彼らは一般の人々のことを、彼らと雇用関係にない限り、まるでとるに足らない存在だと思っているようだった(彼らに雇われてる人々はとても従順で奴隷じみていた)。 彼らは国を統治しているかのようにふるまった。 実際、彼らは、並外れた説得力のある重要な出来事に対処していた。そして彼らは議会でのいわゆる「選挙で選ばれた」政府に対して、彼らが決定したとおりに、正確に繰り返し直接に財政的決定をさせることによって力を振るっていた。 彼らは常に一種の圧倒的な力を滲み出させているので、彼らの会社にいることは期間が長かろうが短かろうが、気の弱いひとには向いていない イギリス政府が私がコネを持っていたロンドン・シティの金融機関、そしてリバリーカンパニーのビル、シティの司令塔であるギルドホール、そしてメイソンに選ばれたロンドン市長公邸から管理されていることは、すぐに明らかになった。 すべて表面的には簡単なことだ。シティは外側から影響する何ものからも独立している。彼らの活動を規制したり監査する政府はない。 彼らは彼ら自身が法であり、誰に対しても責任がない。彼ら自身や女神のような情熱をもってシティから崇拝される君主は安全なのだ。 シティの財政および統治構造において、どのような重要なレベルのマネジメントを行っているのもメイソンなのだ。そして社交的なものでもどんなものでミーティングはリバリーカンパニーの付き合いの延長上にあるのだということが、はっきりしてきた。 もう少し深く追求すれば、シティというものはバチカンのようなものだと思えるだろう。 ロンドンにある、小さなシティという場所の目立たない力が政治構造を掌握し、目立った変化がないまま1500年以上もの時を重ねてきたのだ。 私はシティがアメリカの連邦準備制度をコントロールしているという実例のある証拠を知っている。そしてシティがその力を世界の主要な金融センターに拡大していると個人的に信じている。 すべての政治と金融のパワーはロンドンのシティにしっかりと掴まれていることに誰も驚くべきではないと私は思う。
2005年の終わり、私は出席を促すメールを受け取り、通常行われる3ヶ月ごとのシティの防衛と金融計画のミーティングに参加した。 顔を出してみると、そのミーティングは完全にふだんと違うものだとわかった。 驚いたことにこれは非常にメイソンレベルの高いミーティングだったのだ。ノートはとれず、口頭のみだった。 そのミーティングでは、イランに対する戦争のタイムラインが他の偶発的なことがおきなくてはならないところまで遅れているという発言があった。その「偶発的なこと」がかなり事務的に述べられた。 第一は、イスラエルがイランを攻撃し、武力行使するよう挑発することをためらっていることだ。イスラエルが約束したので、彼らが必要とするイランの軍事的な反発を引き出すために、イランを挑発する行動はすぐにおこるだろう。 (イスラエルはイランが支援するレバノンのヒズボラ基地を攻撃してすぐだった) それは私には驚きだった。 第二に述べられたのは、日本が整いつつある中国の金融セクターで大混乱を起こすことをためらっていることだった。中国の成長は非常に速く、主な受益者は中国軍になっている。 3つめの驚きは、生物兵器の使用について、いつ使われるか、タイミングが重要だからなどと、おおっぴらに話していることだった。 その後、話の中心になったのは、中国に武力行使させるためイランがどのように軍事的に関与しなくてはならないかだった。 それから、いつまで通常兵器が使われるべきか、この地域において中国軍の猛攻撃に対抗する方法はないという情報についての話が続いた。 かれらがこの集まりで何かを決定しているわけではないのはすぐわかることだった。彼らはすでに計画されたものについて議論しており、ただ仲間内で情報共有をしているにすぎないのだ。 このミーティングの中心の問題はいつバルーン‘balloon’ を打ち上げるかだということもまた明らかになってきた。 さらなる問題として、財政、資源の移動と資産の保護、そしてこうした資源の中央管理:遠方にある資産の持ち込みなどが議論された。 私の記憶にある一連のイベントの流れはこんなふうなものだ。 彼らは次へのステージを正当化するために、イランか中国のどちらかに最初の核兵器を使う罪を負わせる必要があった。 私の情報だとイランは本当に核開発技術があった。 次のステージとはすぐに停戦になるようなレベルの限定的な核兵器による応答だ。 この停戦により西側諸国による全体的な統一政府の設置を必要とする時間を作り出す。 その後か、同時期に中国の人口に対して生物兵器が使われる。 ここから中国の政治全体や社会インフラを破壊する他のイベントへのチェーンがつながっていく。 疫病は広範囲に渡る食糧不足、そして大規模な飢餓へとつながるだろう。 このことが中国軍の東ロシア攻撃を引き起こすかもしれない。生物兵器はインフルエンザのようなもので野火のように広がるといわれるだろう。 この叙述はわたしにとって衝撃的で胸が悪くなるものだった。 もっともらしいイベントが人種を全滅させるために操作されたものであると知って、さらなる衝撃を受けた。 証拠ははっきりしている。未来の紛争に向けたタイムラインが本当に存在し、この国イギリスがこれを一種の世界統治ビジネスプランとして使い、その結果、数百万の大衆が死んでいる。 この計画は、これらサークル内でアングロサクソンミッションとよばれていた。
興味深いことに、この会合には名前は伏せるが元警察長官が参加していた。 彼の役割はイギリス国民の間に生じた不満な意見をコントロールするための、彼をトップとする、彼がよぶところの‘The Greater Policing Community’といった民間警備会社に力を与えるうえで十分な立法をかなえることだった。 このときイギリス内で約50万人が民間警備の仕事をしていることにほとんどの人が気づいてなかった。 そして、この産業が公共秩序法に関連して、すでに政府がバックについている公共管理警察権により力を与えられていることをことを知るひとは更に少ない。 議会での警察の権限強化の法律は現在、直接逮捕したり、拘禁したりといった権力も含めてさらに拡大している。現在、地域警察官および民事執行官に求められているものと同じ権限だ。 戦争時、イギリスはシティにより権限強化された軍事政権が主導する全体主義の警察国家になる。私はこれを確信できる。そしてイギリスにいる人たちの大体は気づかない。
その中身をチェックでき、そうしたければ簡単に確かめることができるということから、この会は単なるバックグランドの報告会と思われる。 はっきりしているのは
つけくわえると、西側諸国の力は活発に「完璧な戦争」を求めており、20世紀から現在までそうしてきた。第一次世界大戦と第二次世界大戦は単なる踏み台であり、もともと決められていて、成功したケースだ。次の大戦は曲がり角まできている。この戦争はかなりの人口をへらすだろう。非常に短い期間で半分にまでになるかもしれない。 この「いきすぎた統治者たち」は、この一連の計画を完全に正しいと考えており、驚くべき決意で実行にむかっている。 私個人のことをいえば、私はこれまで何らかの形でこのすべての出来事に貢献してしまっている。それに加えて私はこれをかなり前から知っていた。しかし、その十分な意義を理解してなかった。疑いなく私の側で否定していたのだ。 人は自ら望まない限り、彼らが抱く理由のような――最大の邪悪(greatest evil)のために自らの魂を明け渡すことなどあまりない。
※日本でも興味を持つ方は多く、普通に「アングロサクソン・ミッション」で検索しても多くを知ることができます。
翻訳元の「手紙」はPDFで全10ページあります。しかしここに翻訳されているのは6ページ目の途中までです。残りのページには、だいたい以下のようなことが書かれています。
後半部分の翻訳を掲載しなかったのは、内容が前半とかけ離れていることが主な理由ではありません。
この筆者は知的で論理的な人物です。翻訳した前半部分は、どのエピソードもいわゆる5W1Hが記述されています。ラス岬の帰りの神秘的な記憶についてさえ、いつ、どこで、誰にあって、どんな体験をした結果、こうした感覚が自分の中に残ったのだと、非常に順序立てて書き記しています。根拠がはっきりしていないことを主観で断定することもほとんどありません。 しかし後半部分になると、書き方が様変わりします。Alhooが存在すると言える理由も、彼らがギザのピラミッドを作ったという客観的な根拠も示されません。まるで小説のように、空想的な内容が断定的に記述されています。 前半部分を書くような論理的な人物が、このような分裂した手紙を残した理由として、どのような可能性が考えられるでしょう?
どのような理由であれ、アングロサクソンミッションに興味を持つ人の多くが期待しているものは、SF小説ではないでしょう。 後半部分を一緒に読むことは、テーマを混乱させるだけだと考えます。そのため翻訳文は作成しませんでした。 後半部分に興味のある方は、各自で内容を確認していただければと思います。